住友シゲルは休めない

住友茂の多動な日々

3月と云う季節を振りかえって

本日をもって3月という月は過ぎ去り新しく4月がやってくる。

今3月という日々を振り返ってみると別れが多い季節であったと思う。

仕事柄小学校へ行くことがあり、小学校最後の日には子供から

来年も来なかったら殺すよ

と言われ、周りの後輩や先輩なども次々に他の場所へ行ってしまい、別れが多くあった。


このような別れというものを多くの人は涙を流して悲しみ、感動を共感し合うということをしていると思われる。


しかし、私にはそのような感性がなく、なぜ涙を流してまで感動するのか理解できない。

まぁその重たる例というのが卒業式というものである。

私にはあのような長い時間をかけて無駄な話を聞くということが理解できない。

そのため、大学の卒業式は行かなかった。

あの儀式こそ感動を共感しあって涙を流す人こそが参加すべき式である。

私の考えとしては、この情報化が進んだ時代、連絡一つで簡単にまた合うことができると思っている。


死んでいなくなるわけでもないのであるから、別に泣く必要はないと思っている。


このようなマイノリティーな考えは結局のところ周りからは受け入れられず、今日も僕は生きにくさを抱えながら生きていく。