住友シゲルは休めない

住友茂の多動な日々

ASDと肯定感について

ASDと肯定感についてはASDのタイプによって変わってくる物だと考えられる。

 

そもそも、ASDの中でも肯定感が高い人と低い人がおり、高い人は高い人で問題もある。

 

先に高い人について書くが、ASDで肯定感が高い人は相手の立場に立つことができないことから相手に対して尊大な態度を取り、周りから偉そうにしていると見られることもある。

 

それによって相手との関係に亀裂ができる可能性もあるため、一概に肯定感が高ければ良いというわけでもない。

 

逆に低い人に関しては、思いつく限り2つの理由があると考えられる。

 

一つ目は気質的に不安が高いタイプであり、二つ目は完璧主義者であることである。

 

不安が高いタイプの人は他者から褒められたとしても、素直にそのことを受け止められず、肯定感が上がることにつながらない場合がある。

 

次の完璧主義については、求めている物が高すぎるため、どんなに良い結果を出したとしても満足できず、肯定感が上がることにつながらないのである。

 

ともすれば、肯定感を上げるためだ褒めるということをするが、この褒め方を少し変えることが効果的な場合もある。

 

例えば、アイメッセージで私はどう思うかを伝えるという方法や周りはどう思っているのかを伝える方法、客観的なデータを使って褒める方法などがある。

 

相手の立場に立って自分を相対的に見れない場合はアイメッセージや周りがどう思うかを伝えるのは効果的であると考えられるし、数字などに強い場合は客観的なデータをもとに話すことが効果的であると考えられる。

 

とはいうものの個人的に1番効果的だと思うものは共有体験やその人の世界観に入ることであると思っている。

 

ASDの人の場合、世界観が独特であり、理解することが困難な場合が多いと思う。

しかし、人が自身を肯定的に見ることができる要因としては、同じ世界を共有できるという経験があるからだと思う。

 

例えば、同じ趣味のある人といると楽しく感じたり、嬉しい気持ちになることがあると思う。そのような体験をASDのある人は経験しづらいと考えられる。

 

また、世界観の違いから他者から色々と言われて傷つく可能性もある。

 

そのため、感情を共有したり、世界観を共有することが大切だと思う。

 

とりわけ、嫌な体験を忘れることのできないASDの方は何かあるだけで、過去の体験を思い出し、肯定感が上がらないということもあるとも思う。

 

逆にADHDは不注意のためある程度安定した環境で育っていると嫌なことをすぐ忘れてしまうので生きやすいと言えば生きやすいのだと思う。