住友シゲルは休めない

住友茂の多動な日々

コミニティー

昨日運良くコミニティーについて対話する時間があった。とてもありがたい時間であった。

 

その中で私の思うコミニティーについて今回書こうと思う。

 

率直な意見としては、コミニティーは必要である。

 

なぜならば、人は人と繋がることで勇気をもらったり、行動力を持ったりすることができるからである。

 

人は1人では生きていくことはできなく、誰かと繋がり、誰かに受け入れられながら、認められながら、誰かと協力し支え合うことができるがゆえに生きていくことができるのだと思っている。

 

人との繋がりは私にとっては財産であり、この繋がりがあるからこそ豊かな生活ができると感じている。

 

その繋がりを得る安心でから場所を得る方法がコミニティーであると思っている。

 

1人だと不安だったり安心できないときでも誰かがいれば頑張れる。人はそこにいてくれるだけで良い誰かとの繋がりがあるから良いのである。

 

人との繋がりについて好きなセリフがいくつかある。

 

①自分のためでいい。自分のために、人を大切にして構わない。
明日……少しはましな自分になるために。
俺にはまだ仲間がいます。
築き上げることは、心を傷だらけにすることでもあります。
つらいことばかりで、美しくないことです。
でも人には人が、必要だと思いました。

 

②人はただ、いてくれるだけでいい。場所もまた、性質も、性別も、問わない。
いてほしいんだ。人は人にいてほしい。より近くに感じたい。手を伸ばした先に、誰かがいるという安心。それを得たい。だから人は呼びかける。電話で。言葉で。手紙で。態度で。、、、無線で。
どこかで誰かが聞いてくれますように。そう願って。

 

このセリフは僕の好きなゲームから引用したセリフであるが、人との繋がりにおいてとても考えられたセリフだと思っている。

 

人が成長するには人が必要であり、誰かがいてくれるだけでありがたいことであると思う。

 

それ故に人と繋がり、安心できる場所を持つことが僕は大切だと思う。

 

 

とはいうものの僕自身はコミニティーはそんなに好きではなく、どちらかというと個人個人の繋がりを大切にしている。

 

理由は単純であり、どんなコミニティーに属してもどうも僕の考えというものは共感も理解もされないので、まぁ諦めてしまい自分のしたいことをしようとしてしまう。

 

何はともあれ、コミニティーは大切である。

 

僕は例外的な存在なのでコミニティーに属すことは苦手だが、多くの人はコミニティーに属して、安心して欲しい。