住友シゲルは休めない

住友茂の多動な日々

親友について

先日某学会へ参加してきた。

その学会の講演会の一つに友達とは何かというテーマがあった。


その内容をまとめると、気軽に話せて、気を使わないのが男同士の友情ということであった。


そう考えたところ、私には二人の親友がいるなと考えさせられた。


1人目が小学校からの付き合いである文学者であり、もう1人が大学時代からの付き合いである、友人である。


どちらとも主に本音で話し、時には喧嘩をし時には協力し合うという関係である。


小学校の頃からの親友は大変多くの本を読み、知識を多く持ってあるばかりか、思考力もある。

そのため、話をしていてこちらが学ばさせてもらうことが多く、たまの休みに地元へ帰ってきた時にはよく飲みに行く。

飲みに行き、よく現代の教育について語り合う。

基本的に私は学校教育中心に物事を見てしまう体質であるため、文学的な視点で教育を見る彼の視点は目から鱗である。


大学時代からの親友は、私のことを「ちじん」と呼ぶ。

この「ちじん」という表現は果たして、知人なのか、痴人なのか私には到底わからないことであるが、どうも私と彼の認識には多くの乖離が生じているということには違いない。

しかし、彼は私かにとって紛れも無い親友なのである。

教育という視点でからも多くのことを語るが、私が特別支援的な観点であるのに対して、彼は行政という、事細かい事務的な視点を持って教育を語る。

その視点も大変私に無い視点であるとともに、彼は根からの細やかな人間であり、礼儀正しく、細かい事務作業や掃除などが得意である。

このような能力というものは私には無い能力であるため、いつも彼には助けられており頭が上がらないのである。


このように私は運良く良い親友というものに恵まれており、良い親友がいるからこそ、楽しい生活を送ることができている。


親友とは心から信頼でき、頼ることができら関係であると考える。


もちろん私も助けられているばかりではなく、協力できるところを協力している。


お互い支え合えることは良いことかな