住友シゲルは休めない

住友茂の多動な日々

善意

この善意という概念について僕という人間は変なこだわりを持っており、僕にとっての善意とは見返りを求めないものである。

 

僕の場合は感謝の言葉すら必要ではなく、ただ、そこにその人があれば良い。

 

あるという状況はその人がとりあえず、不快という状態であったならば、快な状態になり、どうしようもない絶望から脱却した状態である。

 

誰かが絶望している時に僕は力になりたいのであり、その後は見返りというものは必要ない。

 

人から何かをもらってしまうとそれは取引になってしまうと考えている。

 

お金などもってのほかであり、善意で行動して相手からお金をもらうとなるとそれはビジネスであり、契約である。

 

そんな関係性では本当に困っている人は助けられらないと思うし、困っている人の過半数はお金がない人だと感じているので、本末転倒になると思っている。

 

何はともあれ、善意という概念については謎のこだわりを僕は持っている。