住友シゲルは休めない

住友茂の多動な日々

ドキドキ学園第4話

「そもそも人生とは規定しにくいものである」いきなり先生は自分の問いに対して批判的なこと言いいだした。さっき人生とは何だと思うと聞きながら人生は定義できないなど矛盾するようなことをよくいえたものだ。

 

「しかし、規定しにくいという事実がある一方で個人間で人生というものを規定することはできるだろう。そもそも、人生の意味や定義などは個人によって異なるものであるし、その人の置かれている環境や信念によって変わってくるものである。人生の始まりと終わりは明確であり、生まれてくることが始まりであり、死ぬことが終わりである。簡単にいうとそれ即ち人生と規定することもできるが、全ての人がそのような定義通りになるのかと言われるとそうでないとも言えるだろう。仮に記憶がなくなるとなった場合、元々あった記憶における人格は終わりになり新しい別人格の人生が始まるとも捉えられる。認知症など物もその部類なのかもしれない。単純に死というものが終わりともいえない。また、始まりと終わりを生と死と、規定するならば、生とは即ち死であり、我々人間は生まれながら死というのがれることのできない運命を刻印づけられているということになる。つまり、生とは、死という呪いをかけられていると言っても過言ではないと思うのだよ。君はどう思う?」

やたら長ったらしいことを言った後急に先生が私に質問を投げかけてきた。正直何を言っているのか理解しがたく、偏った考えでもあるようには思える考えだが、なるほどなと思うってしまう自分もいる。

「先生の言う通り、人生を規定することは難しいと思いますし、生と死についての考えについては同意できます。ただ、気になる点としては人生の中身はどうなるのですか?この中身があるからこそ人生と言えると思うのです。」

私は基本的に今を生きる人間なので始めとか終わりとかは本当に興味がない。今生きていて楽しければそれで良いのである。

 

「なるほど。つまり人生とは始まりや終わりではなくその中身であると言うことかい?」

私にとっては至極当たり前のことは先生は聞いてくる。

 

「そうですね。私は人生とはいかに幸福に生きるのかと言う意味だと思っています。幸福とは人生の中身であると思うので、それならば人生の過程が大切だなと思いますよ。」

中々私自身も面倒なことを言う。さて、この考えに対して先生はどう返してくるのか、楽しみである。