住友シゲルは休めない

住友茂の多動な日々

特別支援学校の存在意義について

特別支援学校は、果たして必要なのであろうか。

近年、障害者差別解消法など、障害のある方にも差別なく、平等に暮らすことができるようにしようと動きが活発である。

これはとても重要なことであり、大切なことであると思う。

しかし、法律などがあっても、大切なのは人の心である。

法律があったとしてもそれは、表面だけうまくやろうとしているだけで、本当に本心から差別をなくそうなどと考えていなければおそらく障害のある人も生きにくいだろう。


では、これら法律がある中でどのようにしたらより障害のある人が生きやすくなるのであろうか。

私の考える1つの考えに特別支援学校を、なくせばよいという意見がある。

もちろん、特別支援学校を全てなくすわけではなく、医療的ケアが必要になる可能性のある病弱、肢体不自由の子供に関しては特別支援学校が必要であると考えられる。


残りの知的、視覚、聴覚障害の人たちはみんなと一緒の学校へ行ってもいいと思う。

理由としては、彼らが大人になった時である。

私も知的障害のある友人が何人かいるが、共通して言えることは人を求めている。

もちろん、彼らにも友達はいたと思うが、その友達とは遠方から学校へ通っている友達が多く、自分の地域にいる友達ではないのではないだろうか。

彼らが将来クラスと考えられるところは地域である。施設などに行けば施設だとは思うが多くは地域で暮らすことになる。

ならば、地域で彼らが安心して余暇を過ごせるような空間を作っておく必要があるのではないだろうか。

そのために、子供の頃からしっかりと交流し、地域の人たちにその人を理解してもらい、共に過ごすことができるように配慮していくことは必要である。


しかし、特別支援学校をなくすとなると問題が生じる。先生方が未だに特別支援に対しての理解がそんなに深くないことである。

通常学級にも多くの支援が必要とされる子供がいる中、そのような子供たちにも手を焼いているのに支援学校の子供たちが来ても苦労することは明白である。

更に、そのような支援が必要な子達が通常学級の子どもたちから受け入れられて認められるという空間を作り出す必要性もある。

そうなるとかなりの技量が必要であるが、そのようなことをするのはとても苦労することである。


様々な点で困難なことはあると思うが、障害のある人たちが楽しいと思える人生を歩むためには他者、友達が必要であるということは明白なので、もっと目の前のことだけではなく、将来的なことも踏まえて上で考えていく必要がある。