住友シゲルは休めない

住友茂の多動な日々

HSP

時たま僕がこのテーマを取り上げるが、何故取り上げるかというと面倒な概念だからである。

 

とどのつまり、この概念については、医学的なものはなく、心理学者がこんな傾向の人いるよねって言った程度の概念である。

 

しかしながら、このHSPという概念がおそらく日本人という性質にとても似ている側面があり、自分もHSPじゃないのかと思う人が増えてなるのではないかと考えている。

 

日本の文化としては、阿吽の呼吸や空気を読むなど周りのことを過敏に気を配りながら暗黙の了解を理解しながら生活することを求められる社会であると考えている。

 

 

そうなるの経験的にこうしなければいけないとか、気を遣わなければいけないなどという概念が染み込むようになってしまい、結果周りに対して反応しすぎてしまう人が生まれてしまうのだと思う。

 

また、とりわけ日本は発達特性のある人々が受け入れにくい社会という側面もあり、そのように元々過敏な気質がある人たちがストレスにさらされ、より過敏性が増すということも考えられる。

 

愛着という側面で考えると、愛着形成に困難なことがある人たちは人をすごく観察してしっかりしなければとか、相手の期待に応えなければいけないなどのスキーマを持つ傾向があり、その結果人に対して過敏に反応してしまうこともある。

 

つまるところ、自称HSPというものはそんな特性があるけど本人たちがどう表現して良いのかわからない状況下であまりにも定義の範囲が広すぎるHSPという言葉に出会い、自分もそうなのではないかと思ってしまうのでHSPとかなるのである。

 

情報社会の産物という取らな方もでき得る存在である。

 

僕が仮にHSPと名乗る人を見ると大体何がそのような過敏性を示しているのかが分かるので特に気にはならない。

 

名乗って楽になるのであればそれが1番なので