住友シゲルは休めない

住友茂の多動な日々

発達障害

以前から言われていることであるが、発達障害という概念はあまりにも広すぎてある意味手の付け所がないようにも思える。

 

DSM-Ⅳでは、自閉症に関しては広汎性発達障害高機能自閉症など細分化されていた。

それぞれ特徴が分かれていたため個人的にはわかりやすい表現であったと思われる。

 

続くDSM-5では、全てが自閉スペクトラム症に統合された。

個人的にスペクトラムという概念、すなわち特性が濃く出るのか薄く出るのかという価値観で考えることには賛同できる。

何分こだわりと一言で表してもそのこだわりの強さが異なったり、過敏性に関しても一人一人違うという点、また状況に応じてはそのこだわりや過敏性が強く出たり弱く出る場合があるため、特性を濃い薄いという見方で考えることはとても大切であると思う。

 

しかし、その反面全てをスペクトラムと捉えて、診断名を自閉スペクトラム症としたならば、診断名を見てその人の全体を知った気になってはいけない。

特性が多種多様であるが故に診断名だけではわからないことが多くあるからである。

 

それ故に思うことは、発達障害という概念をある意味無視してしまい、その人がどんな人なのか、何に困っているのかに焦点を当てていった方が良いと思う。

 

個人的な印象だが、発達障害の人は増えているように思える。根拠もないことであるが、そんな気がしている。

 

このまま増え続けたのであれば、おそらく発達障害が多数派になる可能性もあるわけであり、そうなったのであれば発達障害に対する配慮が当たり前になる。

 

発達障害の人たちが多数派の世界を考えると今合理的配慮という表現を使ったり障害者差別云々言われていることが自然となされ、誰もが暮らしやすいユニバーサルな社会になる可能性が高い。

 

何分私の個人的な意見としては、発達障害などあくまでカテゴリーしているだけにすぎず、周りの環境を整えればそれは障害ではなく、その人の持つ特徴になると考える。

 

いづれ発達障害が多数派になるような気がする。