住友シゲルは休めない

住友茂の多動な日々

幸福とは

なんとなく、このワードに触れることがあるなと感じたので書こうと思った。

 

幸福とは相対的なものであり、様々な観点で捉えることができる。

 

あることによる幸福、ないことによる幸福、知ることによる幸福、知らないことによる幸福、様々なことを言われる。

 

その中でも絶対的な幸福とはあることを知りつつ、知ることを知りつつ、ないことや知らないことを受け入れて満足する幸福であると考えている。

 

幸福と感じる状態像とは相対的であるため、人それぞれの価値観があり、一人一人の物差しつまるところ感じ方が異なる。

 

そのことなる価値観を持っているからこそ、あるなし、知る知らないということが重要になる。

 

ある幸福とは自分が欲しいものがあることである。美味しいもの、お金、良い人間関係などそのようなものがあれば一般的な人は幸福感に満ちるであろう。

その時は幸福であるが、ものがなければ不幸になるため陳腐なものになる。また、人間関係においては相手に求めすぎると人は離れていくこともあるので注意が必要であるし、関係を維持することは精神的に面倒なことにもなり、不幸になるかもしれない。

 

ない幸福とはないが故に幸福感を抱くことである。苦痛や病気などが例に挙げられる。

これは、実際自分が辛い状況にいる時に感じるものであるが、辛さを感じなければわすれてしまう。

 

知る幸福とは自分の興味深いことを知ることにより、得られるものである。しかしながら、この知るということも人間の欲望により、求めすぎて身を滅ぼすことにもつながる。また、知りすぎると人と分かち合うことができなくなってくる。

 

逆に知らない幸福もある。便利なものを知らないことも幸福であり、知らないからこそ幸せになることもある。ブータンがいい例であり、あの国は昔技術が乏しくかったがが故に幸福であったが、便利なものが入ってくることにより幸福度が落ちてしまった。

 

では、僕の思う幸福とは何かというと、様々なことを知りながら、色んなものがあるということを理解しながら、その現状を受け入れ自分に満足していく。

 

執着から離れることであると思っている。また、その時には自己中心的なものではなく、自己を限りなく無にし、全てのことを受け入れることで幸福感を抱くことができると考えている。

 

ややこしいことであるが、なんとなくそう思っている。