クロスチャンネル エンディングを見ての感想
一言で表すと贖罪劇であったと思う。
この閉鎖空間にいる人々は特別とは言わないが皆罪を犯している。
特に、黒須太一の通う学校は社会から逸脱したものが集まる学校であるため、その性質により、罪を犯している。
人に依存しなければ不安定のため、自分を傷つけることで相手を傷つける。
悪意に敏感であるため、ヒステリックになり、真実を知らないまま相手に対して敵対心を抱く。
規律を重視しすぎるため、肉親であっても傷つける。
自己愛が強すぎるため、人を道具として扱う。
犯した罪の重さから目を晒すため、人に依存する。
姉への恨み。
男性の男性による男性へのセクハラ。
子供が育つまで面倒を見きれなかった罪の意識。
そして、自分では制御しきれない破壊的な意思による他者への暴力。
このように多くの人が何かを背負って生きているが、最初、各個人が罪に向き合い、改善しようとしていなかったように私は感じた。
そして、物語の終盤で一人一人自分に向き合う。そして、黒須太一により、元の世界に送還される。
この時に起きた現象は、お互いの罪と罪を交差させ、お互いに理解し合うといういういとなみにいう営みに私は感じられた。
罪と罪が重なり合い、クロスする。
そして重なり合った罪が罰になる。
罰になったらもうお互いが共有するところがないため、すれ違い、合うことがなくなる。
このように解釈できるのではないかと感じた。
黒須太一以外の罰はきっと現実世界でまともに生きようと努力することなのであろう。
黒瀬ちゃん寝るでは、現実世界に戻った人々が、どのように生きていたのか描かれていた。
旅に出たもの、兄弟仲良く暮らしているもの、群青から出て行くもの、拒んでいた制服を着るもの、自己愛を満たす依存先から離れざるおえないもの、など各キャラのその後が書かれていた。
そうやって目を背けていたものに向き合うことが贖罪となるのであろう。
しかし、そう考えると黒須太一の贖罪は相当辛いものになる。
だれもいない1人の空間で毎日過ごし、毎週電波を確保し、ラジオを放送する。
この作業の繰り返しである。
そうして、おそらく人々に希望を与え、命を救って行くのが贖罪なのであろう。
自分が人の命を救っているということを自覚できないまま
個人的な最終的な終わり方として、黒須太一の食材が終わり、また、彼の世界と元の世界がクロスし、再開できればいいなと思う。
友達について、愛について、とても考えさせられる作品だった。
当たり前にいる他者のありがたみがわかった。
友達は大切にしようと思う。