住友シゲルは休めない

住友茂の多動な日々

物語を読むと言うこと

今日ゆずはさんとツイキャスで話そうと思っていることであるが、世の中認められたい感が強い人が多く存在すると感じる。

もしかすると私の周りにそのような傾向な人たちが集まってくるだけなのかもしれないけれども、そのような傾向を持ち得る人は中々目についてしまう。

大抵このような人たちは、自分自身に自信がなく、自分で自分自身を認めることができない、あるいはそのようなことをしても安心ができないが故に他者から評価を得ようとしているのであると私は考えている。

しかし、そのような傾向も度が過ぎると良くない方向へ行くことになり、他者に依存してしまう可能性も十分にあると言う点やその依存した他者が自分の求めていることをしないと裏切られたと勘違いして、攻撃的になったら、わけのわからないことを言ったりすることもある。常に依存先の人から肯定的なフィードバックをもらっていないとメンタルがもたない傾向がある。

このようなことはおそらく、その人が今までしてきた経験によるものであると思うが、個人的にはその経験というものを客観的に見つめ返すことをしてオススメする。


また、私がよく言っていることであるが、多くの視点を持つことや視野を広げるということも大切である。そのための物語である。物語というものはある意味その中の登場人物たちの歴史が書いてあり、読者はその歴史を追体験できる。そこで、登場人物たちの気持ちに共感したり、自分ならどうするかを考えたりすることで、自身の視野を広げることができる。

このような体験を積むことで、おそらく見えてくる世界が広がると考えられるし、興味関心が自己へ向かうのではなく、他者へ向かって行くのではないだろうか。自己に向かう興味であるならば、結局のところ、それは自己を認めてもらいたいという思いになる可能性がある。しかし、他者へと向かう興味であれば、考えるは他者の幸せであり、向社会的な行動につながる。

自己という存在は社会という大きな枠組みの中で生きているのであり、社会へ還元されて行くものである。個人化が進み、多くの人が自己にしか興味がないように思われる今だからこそ、もう一度自己と社会の関係性について考え直しても良いと思う。

しかし、この点において社会に自己を浸透し過ぎると結局それは戦前の日本のような状態になってしまうので注意が必要である。自己を意識しながらも社会で自身がどのように誰かのために行動できるのかを考えることが大切であり、一人一人がそのような思いを持つことで、平和で民主的な社会を形成することができると考えている。