住友シゲルは休めない

住友茂の多動な日々

教育におけるゆとりについて

ゆとり教育という考えは教育において重要な視点である。


今の時代は知識を詰め込むことを重視しているような教育の方針であるが、人が学ぶためには、問いが必要である。


その問いと呼ばれるものは日常にある些細なものから、世界レベルの大きなものまである。


そう考えると、日常から一歩離れたところから、様々なものを見つめる機会というものが必要になってくると考えられる。


また、疑問点を発見するための基本的な知識も必要である。


しかし、これらのことを行うには忙しすぎる社会ではいけないような気がする。


そこで大切なのはゆとりである。


ゆとりがあることで、自分の興味のある事柄について探求する時間を確保することができる。


その際に気を付ける点というのは、子供から考えを引き出すことと、学びの方向性をある程度導くことである。


そうなってくると大人は子供のしたいことが、どのように今後の社会とつながるのかを知っておく必要がある。


それを知ることで、子供にとって真剣なことであるが、大人にとって陳腐なことも受け入れ、社会につなげることができる。


子供の意思を尊重できる。


難しいことではあるが、大切なことだと思う。