住友シゲルは休めない

住友茂の多動な日々

本質と方法論

もしかしたら前にも書いたかもしれないが、最近私が思うことである。


この世界には本質的なものというものが存在する。


私の携わる教育というものの本質を私なりに考えてみると、より良いひきだすことである。


教育という英語はeducationというようになっている。


この言葉の由来たるものはひきだすである。


つまり、子供には元々学ぶための素材があるということである。


このような本質的なことを理解しておけば、あとはこの本質に迫るためにどのような方法があるかを知っておく必要がある。


例えば、動機付けという理論や言葉がけの方法、教材の内容などが挙げられる。


ここで注意すべき点というのは、これらの方法論のみを学んでも空回りするということである。


方法論ありきで、方法論のみで学ぶと途中目的からずれてしまい、結果的に空回りする。


つまり、このような方法論というものは本質を理解した上で、可能な限り多くの方法というものを学んでいく必要があるということである。


そして、その学びというものも経験と理論の両輪である必要があり、どちらかきた方だけでは、浅い思想に至る。


賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶという言葉がある。


つまるところ賢い人というのは今までの経験則だけでなく、そこにしっかりと理論を持って意味づけをしていくのである。


結論から言うと、我々が学ぶときは、本質を捉えた上で、方法というものを多く学ぶ必要があるということである。


教育基本法にもあるように、常に真理というものを追求しす姿勢を忘れてはいけない。